ちょっと前の話になるんだけど、
5月にバリに社員旅行に行ったときに、バリ時代、仲のよかったEmingちゃんとEmingちゃんの彼氏とムハンマドさんと4人でホテルのベランダで久しぶりの杯を交わしていたとき。
ふと、お土産の話になって、ムハンマドさんが一言。
『若草はなんでいつも食べ物をお土産に買ってくるのか』
と聞いてきた。
私は、毎回買ってきてるのに何か文句あるの、と言わんばかりに
『なんで、嫌なの』
と聞き返したところ、
『いやじゃないけど、食べ物だったらカタチに残らないじゃん』
と、ムハンマドさんは言う。
私はこれが理解できなくて、Emingちゃんと同意したのは、
カタチに残るお土産を買ってきて、相手が気に入らなかったら、使ってもらえなくて、結局いつか捨てる羽目になって、もったいないだけじゃん。だったら、その土地のおいしい食べ物を買ってきて、カタチには残らなくても喜んでもらえたほうがいいじゃん。と。
でもムハンマドさんは
『今度は何かカタチに残るものを買ってきて』
という。
『じゃあ、例えばさ、ツインタワーのキーホルダーとかマグネットとか、マレーシアって書いてあるTシャツとかでもいいわけ!?』
と私が聞くと、ムハンマドさんはいいよ、という。
たしかにインドネシア人って、
そういうベタベタなお土産をよく買ってるのをよく見かける。
私はもらったことはない・・・ような気がするけど、
そんなのもらって本当に使うの?!と聞くと、
『使うか使わないかは置いといて、そのもらったモノを目にする度に、その人のことを思い出すでしょ。たとえば、Tシャツをもらったとしたら、それを着るたびに、あぁ、あの人は元気かなぁって思い出すから』
っていうムハンマドさんの意見に、私もEmingちゃんも妙に納得してしまった。というか、その考えは目からウロコだった。日本人にはあんまりない発想じゃない?それはとてもインドネシア人的な考えだと、私は思ってしまった。
インドネシア人には“kasih kabar(カシ・カバール)”という習慣があって、元気かどうか尋ねるって、いう意味なんだけど、彼らは本当に、連絡がマメだと思う。家族に対してもそうだし、友達に対してもそうだし。
日本人って、何か用事があるときくらいしか、あんまり連絡しないと思うんだけど、彼らは本当になんにもないときに、『若草、元気?』って、ただ聞いてくる。
まぁ、暇だからっていうのは80%くらい理由にありそうだけど、元気かなって思ってくれるのがうれしいよねって、私は思う。私が彼らと、今だにとても近い距離感を保っていられるのも、彼らがそうやって連絡をくれるからに違いない。
『元気?』って聞くことによって始まる会話で、最近はどーした・あーしたと話しているから、ともすれば、日本の家族よりも、友達よりも、とても近い存在で、だから私はバリにばっかり、帰ってしまうんだなと思ってしまう。
そんなことはさておき、
今回日本に帰ってくるときに、お土産を選んでいて、私はムハンマドさんのこの言葉を思い出したんだよね。
いつも食べ物とかばっかり選びがちだったから、
今回は、カタチに残るものを実家には買ってみた。
それを見て、あぁ、若草は元気かなって思い出してくれるとうれしいなって思って。
★写真は、大好きなスミニャックのダブルシックス・ビーチの『Tekor Bali』より
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