考える力

シンガポール

若草は、ダンスをしています。

8年くらい前に、バリ島でベリーダンスに出会って、今までいろんな先生に習ってきたけれども、去年くらいから、思い立って、というか、チャレンジしてみよう!と、ダンスの振り付けを始めて、それから、ソロで踊るときには、自分で振り付けしてみようと、毎回悪戦苦闘しています。

この曲を踊ってみたい!と決めてから、3分~4分の曲の振り付けを始めると、センスがなさすぎて、もう一生終わらないんじゃないかって、毎回、だいたい絶望を味わっている。笑

振り付けを作っていく過程の中で、その曲を200回くらいか、それ以上、聴いてると思うんだけど、聞いていくうちに、今まで聞こえなかったリズムやビートが聞こえてきたりして、そこに動きを当てはめていくような作業。

もちろん自分の得意な動きを当てはめていくけど、時にはこの動きカッコイイから使えないかなーと、何度も踊ってみて、当てはめてみたりします。

ダンスって、体の動きのボキャブラリーって、私の先生がいつも言っているんだけど、振り付けを自分で考えていると、この言葉がとてもよく分かる。

ダンスだけじゃなくて、コミュニケーションのボキャブラリーもそうだと思うけど、自分で感じて、考えて、行動に移してみて(言葉を発してみて)、失敗して、何度も繰り返して、ようやく、そのボキャブラリーが自分のものになると、最近とても感じている。

 

若草、日中は普通の仕事をしていて、東南アジア各国のローカルスタッフとやり取りをしているのですが、こうやっていうと失礼かも知れないけど、結構な割合の人が、自分で考える力が欠落しているなーと感じる。

何を質問されているのか、どうすればいいのか、何がよかったか、何が悪かったか、どうすれば改善できるのか、自分で考える過程が欠落しているから、一向に成長しないんだなーと、日々感じている。(学歴の高い東南アジア人はそんなことないですけどね。)自分で考えることをせずに、誰かの指示待ち、指示に従うことしかしないから、同じことを何回頼んでも、何回も同じことを聞いてくる。自分の身になってないからね。

そんな彼らとのコミュニケーションは、一方通行のコミュニケーションにしからならいなーって感じている。こちらの質問に対して、自分の答えたいことしか答えない。しかも主語がないから、何について話しているか分からないとか。根本的には、質問の意味を考えるのがめんどくさいから、分からないことは答えない、みたいな感じ。

 

日常生活のコミュニケーションのボキャブラリーも然り。

感じたことを、言葉で表すのはとても難しいけれども。でも伝えられるように、考えて、どうやったら、相手には分かりやすいかなとか、伝え方とか。少しずつ、努力していったら、いつしかそれは、自分の言葉になると思うんだよね。考えることって、とても大切。考えることが、価値を生み出すんじゃないかすらと思う。

何のフィールドにおいても、努力をして、常に自分のスキルを磨いている人を私は尊敬するし、刺激を受ける。

それを自分のスタイルとして、生み出すことができたら、最高だよね。

 

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