想像力の欠如

シンガポール

いろいろな人たちとやりとりする中で最近思うのだけど、相手の態度は、自分の態度の鏡、って言葉は本当だなぁと。

 

ここ数ヶ月、中華系の気が強い女性たちと話をする中で、学んだこと。

伝え方ってとっても大事。

 

違う意見があることは当たり前なんだけど、それをどうやって伝えるかによって、周りの人の反応って変わると思う。

人の話を聞かず、自分の意見だけを散々押し付けてくる人たちの話を聞いていて、さすがに何度もそれが続くと、聞いていてうんざりしてくるので、距離を取ろうとすると、急にどうしたの、最近態度が違うんじゃない?と聞いてくる方たち。

 

人が離れていくのは、その人といると心地よくないからだ。

だから相手の態度は、自分の態度の鏡なんだなと最近つくづく感じている。

 

物事には、必ず二面性があると思う。

こだわりを持つことは素晴らしいけれど、物事の一面しか見ることができずに、もう一面を一方的に批判し続けるとき、それは彼らの中での正義なのかもしれないが、一方で、もう一面の方で、自分なりに努力をしている人たちへの配慮や感謝が欠けているんじゃないかなと聞いていて思う。だから、そんな一方的な主張を聞いている方は、うんざりして聞きたくないと思ってしまうんじゃないかな。

 

反対意見は、一度そういう努力やしてくれたことを受け入れて伝えた上で、こういう意見もあるよと伝えたほうが、受け取る側はずいぶんすんなり受け入れられると思う。

 

だからもっと、聞いている方のことも考えて発言してほしいと、気が強い中華系女性たちに伝えてみていたりしたこの一ヶ月ほど。

 

よく考えてみたら、周りの日本人の友達たちは確かに考え方や価値観は違えど、自然と相手への配慮のあるコミュニケーションをしているので、ぶつかることってほぼ全くないけど、

この辺りの国の方たちは、コミュニケーションにおけるそういう配慮が欠けている人が結構多いと感じる。

だからといって、こちらも同じような態度をその方たちにとると、傷ついたと言われる。人には言うけど、自分が言われるのには耐性がないらしい。

 

考え方や意見が違うのはいいと思う。そういう考え方もあるんだと勉強になるから。でも、その人の伝え方が不快だったら、私はその人といること自体がストレスになるので、わざわざ一緒にいることを選ばない。意見が違うから一緒にいないのではなくて、一緒にいて不快だからだ。

 

そこで気づいたことがもうひとつあって、

全ての物事は、誰かへの想像力によって成り立っているのではないかと最近思う。

公共の場をきれいに使うのも、次に使う誰かのため。

あらゆる仕事も、これをしたら、誰かが楽になるなとか、便利かなっていう想像力から生まれていると思うし、ホスピタリティ業だったら、これをしたら、お客さんが喜ぶかなっていう想像力じゃない?レストランにしても、ITの仕事にしても、バスの運転手だってそう。

いい仕事にはリピーターがつくし、お客さんはついてくる。大事なのは、心地良さ。相手を思う想像力から生まれたところに、価値が発生するんじゃないかな。

 

と、考えたとき、シンガポールのサービス業のレベルの低さや人々のコミュニケーションのしかたは、この国の教育方針の結果で、仕方がないのだなと納得がいった。彼らもきっと、物事の二面性を考えたり、これをやったり、こういう風に伝えたら、相手はどう思うかって考えるスキルを習ってこなかったから、分からないのだろう。

 

想像力の欠如

イライラする相手がいたら、その人にはきっと想像力が欠けてるんだろうな。

 

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